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文化とメディアの特性とデザインについて

Slack画面

大学を退職後、オンラインで複数のコミュニティ(グループ)に参加している。旧職場の知人のグループ、大学の研究室OGOBの勉強会、学会の研究部会等..そのほかオンラインのセミナーにもかなり参加している。

コミュニケーションの場を作ったり、情報を共有したりするためのメディア(道具)について、メディアを提供する人間として使う人たちの考え方や態度いわば文化といえるものを考えなけらならないと感じたので、まとまってはいないが考えていることを書きてめておきたい。

Slack疲れ

以前、 大学の研究室OGOBの勉強会でSlack(ビジネス用のメッセージングアプリ)について話題になった時『うちでもSlack疲れがあると言っている人がいますね』という発言があった。そして、私の参加しているSlackの中に見逃していたチャンネルがあることに気づいた。Slackは仕事で使用しているわけではなく、かつ使い方について調べたりしていないので使い方も十分理解していないかもしれない。

ただ、かなりの人たちが仕事などで情報共有ツールとしてSlackを利用しているようだ。また、Slackに限らず、『情報は○○にあるので必要な人はダウンロードしてください』とメールなどで指示されることも多い。特定の情報源(例えばメール)をチェックしていれば大方の情報を知ることができる、という時代ではないのだろう。

個人的に、Slackがなんとなく使いずらいと考えていて、積極的に使ってこなかったが、そう思う理由を個人的に考えてみた。

 Slackについての情報:Slack Website

情報の共有のメディア・場の特性


この投稿をしようと考えたのは勉強会の情報共有の場としてのSlackで、あるチャンネルを見逃していたからだ。目的があって自分が設定したチャンネルであれば確認するが、ほかの人が設定したチャンネルは、確認しないこともある。

おそらく多くの組織やグループの情報共有の場としてのSlackは、Slackの中で複数のチャンネルが設けられているであろう(私が参加している常設のSlackでは、6~9個のチャンネルが設けられている)。グループ(「ワークスペース」)を設置すると「general」「randam」といった最初から用意されるチャンネルもあるが、使用するグループで必要なチャンネルを作成することで数が増えていくのであろう。

チャンネルの命名法が適切であれば、チャンネル内のやり取りを想像できるかもしれないが、「general」や「randam」といったチャンネル名から中でどのようなやり取りが行われているか推測することは、簡単ではないような気がする。

また、それぞれのチャンネルにどのように参加していくか(参加できるのか)もわかりにくい。参加しているチャンネル、参加していないチャンネル、どのようにしたら参加できるのかのガイド等が私にはわかりにくい。

情報がやり取りされている場で共有されているルール(決まり事)が見えにくいと、参加がしにくいものになってしまう。対面の場であったとしても、新たに参加することは敷居が高いが、もし人がいるところであれば、声をかければ何かはじまる可能性が高い(たとえもうまくいかなくても、フィードバックがあるので)。

ネットワークの中ではきっかけ作りが難しい。誰にどのように声をかけてよいのかがわかりにくい場合が多い。うまくいっていない場合、フィードバックがないとうまくいっていないことすらわからず、気をもむことが多い。

文化とメディアの特性

SlackはICT関連企業の社内コミュニケーションツールとして発展したようだ(下記資料参照)。その場にはふさわしいコミュニケーションツールとして開発されている。

 Slackについての参考資料:急成長を遂げた「Slack」流のコミュニケーション手法とは–“点”ではなく“面”にすべし

ここで、文化としてのエンジニアリング系の文化を考えてみたい。その文化の中のおそらく一部は『わからないことは自分で探していく』ことにつながるのではないかと思う。どういうことかというと、『情報はある、必要な人間は自分で見に行く・探すこと』という前提の行動様式の文化。現代のエンジニアリングの世界では当たり前と思われる文化だと思うが、例えばその文化・環境内で使われる『ことば』を知らないと、探すことすらできない…等が発生する。

それに対して、メールは一つの一人に一つのメールアドレスが振られ、そこを注視していればおおよそ動きがあるかどうかを判断することができるのが原則である(複数のメールをもっている人ももちろんいるが)。効率の悪い面もあると思うが、ある面安心感もある。

Slackを使ったコミュニケーションが悪いと言いたいのではなく、ツール(道具)はそのツールが必要とされ開発された背景があり、文化があるということをしっかり理解する必要があり、ツールとして導入する場合は、文化を理解したうえで導入・利用が重要であるということ。

これからインターネット&コンピューター(個人端末)を前提とした世界になっていくとき、この『文化』について、理解と工夫をしていかないと文化の違いによる分断が起きかねないような気がする。デザインを考える・つくり出す人間として、気を付けていなければならない点だと考える。

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